野球王国松山
日本で一番人気のスポーツはやっぱり野球やろ!
松山が生んだ俳人「正岡子規」と野球は深~い関係があるんよ!
正岡子規と野球
松山が生んだ俳人正岡子規。
子規の没後100年の平成14年に、正岡子規は野球殿堂入りを果たしました。アメリカ発祥のベースボールを、正岡子規は自らプレーし、広め、野球を題材とした俳句を数多く詠み残しました。
また、正岡子規が訳した野球用語で現在も使われているものは「打者」「走者」「四球」「直球」「飛球」などがあります。正岡子規はまさに日本における「野球の祖」といえる人物なのです!
の・ボールミュージアム(野球歴史資料館)
松山に野球が伝わって1世紀以上。高校野球を中心に、「野球王国松山」を全国にアピールする数々のすばらしい実績を挙げてきました。そんな松山に、平成15年5月、野球資料館が誕生しました。
正岡子規がペンネームとして「野球」の表記を用いて「のぼーる」と読ませました。正岡子規の像や、愛媛野球歴史年表、輝かしい実績を示す優勝旗、現役プロ野球選手の手形など、なぜ愛媛・松山が野球王国といわれるのか、その理由が分かります!
野球歴史資料館 の・ボールミュージアム
住所 | 松山市市坪西町525番地1 (松山中央公園野球場/坊っちゃんスタジアム内) |
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電話番号 | 089-968-6660(松山市体育協会) |
開園時間 | 9:00~17:00(入館は16:30まで) |
休館日 | 月曜(祝日の場合は翌日)、年末年始(12/29~1/3) |
入場料 | 無料 |
アクセス | JR松山駅から予讃線普通で5分、市坪駅下車徒歩1分 |
駐車場 | 松山市中央公園駐車場利用600台(臨時駐車場あり) |
正岡子規が詠んだ野球を題材とした俳句・短歌をご紹介!
・春風や まりを投げたき 草の原 | (「筆まかせ」明治23年) |
・まり投げて 見たき広場や 春の草 | (「寒山落木」明治23年) |
・恋知らぬ 猫のふり也 球あそび | (「寒山落木」明治23年) |
・球うける 極秘は風の 柳かな | (「寒山落木」明治23年) |
・若草や 子供集まりて 毬を打つ | (「寒山落木」明治29年) |
・草茂み ベースボールの 道白し | (「寒山落木」明治29年) |
・夏草や ベースボールの 人遠し | (「俳句稿」明治31年) |
・生垣の 外は枯野や 球遊び | (「俳句稿」明治32年) |
・蒲公英や ボールコロゲテ 通リケリ | (「仰臥漫緑」明治35年) |
・春風や まりを投げたき 草の原 |
(「筆まかせ」明治23年) |
・まり投げて 見たき広場や 春の草 |
(「寒山落木」明治23年) |
・恋知らぬ 猫のふり也 球あそび |
(「寒山落木」明治23年) |
・球うける 極秘は風の 柳かな |
(「寒山落木」明治23年) |
・若草や 子供集まりて 毬を打つ |
(「寒山落木」明治29年) |
・草茂み ベースボールの 道白し |
(「寒山落木」明治29年) |
・夏草や ベースボールの 人遠し |
(「俳句稿」明治31年) |
・生垣の 外は枯野や 球遊び |
(「俳句稿」明治32年) |
・蒲公英や ボールコロゲテ 通リケリ |
(「仰臥漫緑」明治35年) |
・久方の アメリカ人の はじめにし ベースボールは 見れど飽かぬかも |
・国人と とつ国人と うちきそふ ベースボールを みればゆゝしも |
・若人の すなる遊びは さはにあれど ベースボールに 如く者はあらじ |
・九つの 人九つの あらそひに ベースボールの 今日も暮れけり |
・今やかの 三つのベースに 人満ちて そゞろに胸の うちさわぐかな |
・九つの 人九つの 場をしめて ベースボールの 始まらんとす |
・うちはづす 球キャッチャーの 手に在りて ベースを人の 行きぞわづらふ |
・うちあぐる ボールは多角 雲に入りて 又落ち来る 人の手の中に |
・なかなかに うちあげたるは 危かり 草行く球の とゞまらなくに |
・久方の アメリカ人の はじめにし ベースボールは 見れど飽かぬかも |
・国人と とつ国人と うちきそふ ベースボールを みればゆゝしも |
・若人の すなる遊びは さはにあれど ベースボールに 如く者はあらじ |
・九つの 人九つの あらそひに ベースボールの 今日も暮れけり |
・今やかの 三つのベースに 人満ちて そゞろに胸の うちさわぐかな |
・九つの 人九つの 場をしめて ベースボールの 始まらんとす |
・うちはづす 球キャッチャーの 手に在りて ベースを人の 行きぞわづらふ |
・うちあぐる ボールは多角 雲に入りて 又落ち来る 人の手の中に |
・なかなかに うちあげたるは 危かり 草行く球の とゞまらなくに |